薬剤疫学は1980年代後半からアメリカで発達した新しい科学で、著名な薬剤疫学者の Strom教授は、薬剤疫学を「人の集団における薬物の使用とその効果や影響を研究する学問」と定義しています。例えば、20年前に胎内で暴露された薬剤による癌発生率の変異の研究などがあげられます[1]。「人の集団における薬物の使用」は医療現場での医薬品の使用を意味しますから、薬剤疫学は主として市販後医薬品の使用実態に適用されます。「効果や影響」は、有効性と安全性の他に経済性を含んでいます(日本薬剤疫学会ホームページより)[2]。
また、薬物療法の実態の中で、疫学的に安全性を評価したり、数年に及ぶ長期投与臨床試験によって真の有効性・安全性を評価する方法は、我が国では経験が少なく、患者さんの生活の質を考慮してコスト・ベネフィットを評価する方法も未熟です。薬剤疫学はそうした方法を提供することを目的とし、欧米で発展しつつあります。
薬剤疫学は決して難しい学問ではありません。また、大規模臨床試験や膨大なデータベースを用いた研究だけが薬剤疫学というものでもありません。製薬企業による市販後調査や薬剤師業務の中での医薬品の使用実態調査も、適切な研究計画に基づいて実施されるならば、立派な薬剤疫学研究となります。 すなわち、薬剤疫学とは、ある医薬品が用いられたとき、どのような変化が人、または病気に現れるか、またどういう風に用いればいい結果が出るのかを、ある意味「予測」するものなのです。そして、薬を適正に利用していくための参考にします。 薬のデータ(薬歴などの個人情報、実施された治療や経過)を集め、解析することで、その薬の「今までの傾向」をつかむ。でも、それはあくまで実態と異なるものです。より実態に即した予測をするためには、より有効な手法で、データをきちんと集める必要があります。
Strom教授は、医薬品の市販後調査としての、薬剤疫学の主なデザインを次のように分類しています。
ほかにも、QOL(Quality of life)の研究、薬剤使用実態分析(Drug Utilization Review:DUR)など、薬剤疫学は医療の中の医薬品の問題を、幅広く検討する学問となってきています。 薬剤疫学は、人の集団における疫学研究ということから、市販後の使用実態における有害事象の研究などが薬剤疫学の主たる対象となります。したがって、市販後は医師、歯科医師、薬剤師などの医療関係者が未知の副作用などに関係する初めての問題を提起する場合も多く、薬剤疫学は、企業のみならず市販後研究を志す医師、薬剤師にとっても必要な知識であると考えられます。
「クスリ」を逆に読むと「リスク」になります。医薬品は、有効性を発揮する可能性と有害反応のリスクを同時にもつ「両刃の刃」です。薬剤疫学の研究成果は、リスクを小さくベネフィットを大きくする医薬品の使い方、すなわち「適正使用」の確立に寄与すべきですが、適正使用には経済性も含まれます。適正使用は処方と調剤の問題に関係しますし、薬剤疫学は情報伝達に関する研究も含んでおります。薬剤疫学は、患者個々のコスト・ベネフィットを確保するため、また、社会的には医療費を削減、もしくは適切に制御するためにも必要であり、医薬品の市販後監視(PMS:Post Marketing Surveillance)や医療・薬事行政の方向づけに基礎を与えるものとして発展させなければなりません。
使用実態、使用者の集団は大きくは国、地域ですが、一つの病院、診療所、薬局にも存在します。未知の重篤な副作用の発見、有害事象を起こした症例の集積、自発報告、医薬品との因果関係の追及、短期の治療効果や長期予後の評価、費用対効果の解析など、研究の課題もさまざまです。これらの研究は医薬品の製造販売を行う企業が市販後調査として実施する場合もありますが、病院、診療所、薬局の医療関係者が始める研究もありますし、集団での研究に疫学者、統計学者、情報技術者が参画する場合もあります。これらの研究成果はすべて研究に関与したひとり一人の医師、歯科医師、薬剤師、看護師など、さらには他の医療機関で働く方々、さらには患者と医療社会に役立つものと考えられます)[2]。
すなわち、薬剤疫学の果たす役割は
といえましょう。
今日、薬物療法が医療に大きく貢献していることは言うまでもありません。医薬品は画期的な効果を示す反面,副作用をもたらすこともある「両刃の刃」です。 しかし、医師の処方や患者の薬剤使用のパターンを変える要因を調べることは、市販後になってはじめて実施可能です。 そこで、薬剤師は、臨床研究や薬剤疫学等から研究成果として自ら医薬品情報を創りだし (エビデンスをつくる)、偏りのない正しい科学的な根拠となりうる医薬品情報の収集・解析・評価を行い,医薬品情報の整理・整頓を行う(エビデンスをつたえる)必要があります。そして,個々の事例(医療行為)に対し医薬品情報を提供し活用し実践する(エビデンスをつかう)ことが必要です。
薬剤師からみるEBMは,臨床薬学,基礎薬学,薬剤疫学,医薬品情報学,臨床判断学,医療経済学,生命倫理学,医療薬学など多くの領域を統合し医療を実践することにほかなりません。
薬剤疫学の大きな目的は、実地における薬物治療の危険性と有益性について、私たちのもつ薬学の知識を増大し、それによって処方行為と患者の健康の改善を助成することにあります。
最適でない処方は、過剰あるいは不足のいずれでも医療費に大きな負担をかけることは疑いがありません。 処方過誤の型は原因により以下のようになります。
例えば、入院患者の60%は、安全で有効でその状態で用いれば事実上すべての疼痛を除去できる鎮痛薬があるにもかかわらず、恐ろしいあるいは耐え難い激痛に苦しんでいるとDonovanらは報告しています。そして急性の疼痛に対し麻薬性鎮痛薬を処方することに対する非合理的な流れが適正な治療の障害になっていると結論付けています [3]。
どうしてこのようなことが起こるのでしょうか?その原因として以下のようなことが考えられます。
薬剤に関連して、患者に有害な障害をきたす原因の、多くの複雑な因子の特徴を明らかにすることは、直ちに処置できる薬剤関連問題について医師に警告することになり、安全で有効な薬の使用を推進するのに役立つと思われます。さらに、有害な健康上の障害に関係するある特異な医師の処方行為や患者の服薬態度が一旦明らかになれば、これらの結果の頻度を減少させることを目標として、適正な介入を目指し焦点を絞ることができます。
A大学病院の内科病棟において、薬剤師が薬剤管理指導業務を通して行った薬学的介入事例では、(Ⅰ)薬剤の安全性確保(副作用の回避・早期発見,腎機能障害時の薬剤過量投与の指摘,注射剤適正使用への貢献,処方ミスの回避)41.7%,(Ⅱ)薬剤の有効性確保(薬物療法一般への提言,相互作用の予防,検査値・TDMに基づく処方設計)30.9 %および(Ⅲ)患者のQOLの改善・向上(患者情報・症状の訴えに基づく薬物療法への提言)13.6%で有益であったことが明らかとなりました。
薬剤を適正に使用すれば、罹患率および死亡率の減少、患者の機能の増加、QOLの改善をきたすものと思われます。これらの問題は今後、疫学研究として発展が期待される分野でもあります。
薬剤疫学は医学、薬学、看護学、疫学、統計学、情報学などが関係する学際的領域です。適正使用を実現するためには、研究者とともに企業と行政機関の関係者の協力が欠かせません。薬剤疫学はこのようにさまざまな人達の共通認識と協力があって初めて発展する領域といえましょう)[2]。皆さんもこの分野に足を踏み入れてみませんか?
尚、薬剤疫学についてさらにお知りになりたい方は次の参考資料もご参照ください。